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島原のモヤイ

島原についてのあれこれを紹介

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街角の神々(その2)

島原市上の町の宮崎温仙堂の前にえびす堂があります。
案内板によれば寛政四年(1792年)の島原大変(普賢岳の噴火にともない眉山が崩壊して
その土砂が有明海に雪崩れ込んだために大津波が起こった)で一万数千人の人が亡くなりましたた。
そのときの大津波がこの場所まで打ち寄せたと記録されているそうです。
この宮崎温仙堂のえびす堂は、島原大変より前に既に建てられていたようです。
案内板には「大変時の恵比寿堂は塞の神(さいのかみ)として島原藩が建立した祠」とありますので、当時からえびす様道祖神と同じようなまつられかたをしていたようですね。


宮崎温仙堂前にあるえびす堂と猿田彦


かたわらに猿田彦もまつってある


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高島回向堂

島原大変で亡くなった藩士のために島原藩の殿様が建てさせたとあります。
中には観音様がまつってあります。

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高島回向堂前にまつられていた猿田彦

しまばらで見られる猿田彦の石像のほとんどが、このような形の石に「猿田彦大明神」と彫られている。置かれている場所も家の北側の角に、東向きにまつられていることが多い。
「古事記」によると猿田彦という神様は天孫降臨のときに、天の八衢(あまのやちまた)でニニギノミコトを待ち受けていたとあるので、ニニギノミコトというのはアマテラスの息子だし、アマテラスというのは太陽神だと思われるから、天孫族はきっと東からやってくるのだろうと想像しました。これはあくまで個人的意見ですよ。
というようなわけで、猿田彦という神様をまつるときには大体東のほうに向けてまつることになってるのかな・・・と。家の北側におかれているのは、おそらく島原半島の地形上、半島から出るには北へ向かわないといけないので、どちらが北か旅人にも分かるように北に統一して設置したのではなかろうかと、こうわたしは考えたわけなんです。

でも、でも、こういう別の考え方もあるわけですよ。
昔の人は北東の方角を鬼門(きもん)として嫌ったわけですよ。だけど、いくら嫌ったって、この地球上で北東という方角がないところっていうのは、北極ぐらいしかないわけですよ・・・たぶん。ましてや、この島原でどこに家を建てようがどこに道をつくろうが、必ず北東という方角がもれなくついてくるわけで、そこで生活者の知恵なのか、それともどこかの宗教家が思い付いたのか、鬼門である北東(うしとら)の反対側の方角が申(さる)であるということから、猿の像を置いて魔よけにしたという話もありますので、ひょっとしたらこれが正解かなとも思ったりするんですよね。



高島回向堂の近くにまつられていた猿田彦と地蔵
猿田彦の石像はけっこう大きいです
隣にはお地蔵様もいっしょにまつられています
屋根付きです




九州労働金庫島原支店の前にまつられた猿田彦

裏のほうには水神様とお稲荷様もまつられています



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荒木社会保険労務士事務所前の猿田彦


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ラーメン・ちゃんぽんの満福のそばにまつられた猿田彦
島原市役所近く 国道251号に面したところにあります


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★ この記事を書きながら聴いた音楽


The Monkees Original Album Series





Theme From The Monkees




Monkees - Daydream Believer


デイドリーム・ビリーバー















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青い理髪館

「青い理髪館(りはつかん)」という名前は、この大正時代に建てられた古い洋館がもともと理髪店だったからです。
島原城のすぐ近くにあり、近くには吉四六書房(きっちょむしょぼう)という、古代史や郷土史関連の本や精神世界の本を集めた古本屋さんもあります。島原城やその周辺を散策してちょっと疲れたら、吉四六書房で本を買って、青い理髪館で珈琲を飲みながら読むっていうのもいいですよね。



青い理髪館のホームページ

吉四六書房のホームページ




★この記事を書きながら聴いた音楽

西田佐知子ベストアルバム





西田佐知子 コーヒールンバ



井上陽水 コーヒールンバ









島原城秋のレンコン掘り大会(2015.10.12)

毎年この時期に開かれるレンコン掘り大会。
島原城東南、八尾病院前の堀には一面にハスが植えられています。
夏にはふちを薄桃色に彩られた白いハスの花が咲き、堀端を散歩すると上品な香りが漂ってきます。
毎年秋にはそのハスの根、すなわち蓮根(れんこん)掘りの大会が開かれており、大きなレンコンを掘り上げた参加者は優勝トロフィーやメダルなどがもらえます。




泥水の中につかって足でレンコンを探しています
南国とはいえ島原ももう秋、肌寒い季節です


長崎のテレビ局も取材にきていました


首までつかっている人もいます 


泥水につかってレンコンと格闘する家族や友人を応援したり撮影したり


なんかギャラリーのほうが多そうです

寒いし泥だらけになるからね(笑)


泥だらけになって冷えきった参加者のために用意された簡易温泉



掘り上げたレンコンは重さを量ります



大きなレンコンを掘り上げた人に贈られるトロフィーとメダル

 

★この記事を書きながら聴いた音楽

カーネギー・ホール・ライヴ・アンド・モア



Muddy Waters - Live Dortmund, Germany 29/10/1976









島原の湧水めぐり(その1)

島原市内のいたるところにきれいな水が湧き出しており、毎日大勢の人がペットボトルやポリタンクを持って水をくみに来ます。たいてい水の湧き出し口には、水神様や観音様、不動明王などが祀(まつ)られています。車のトランクにたくさんのペットボトルやポリタンクを積んでくみに来る人も多く、家に水道があっても炊事には、こうしてくんで来た湧水しか使わないという家庭も少なくないそうです。長崎や福岡から休みを利用してくみに来る人もいます。

いのうえショッピングセンターの湧水

毎日大勢の人がポリタンクやペットボトルを持って水くみにきています。
買い物をしなくても水だけならただでくめます。

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キッチンハウスみつい北門店前の湧水(柏野湧水)


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速魚川(はやめがわ)は島原市上の町猪原金物店の奥にある、湧き水を使ったおいしいコーヒーが飲めるカフェです。

 猪原金物店・速魚川(はやめがわ)の湧水

夏は冷たく冬は暖かな地下水が豊富に湧いています。

 
珈琲・ギャラリー「速魚川」の入り口


猪原金物店・速魚川の源泉


猪原金物店を駐車場側から見たところ



猪原金物店を正面から見たところ


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  猪原金物店のブログ「速魚川」



めだかの学校



島原駅から島原城に向かう短い坂道の途中にある光永商店(文具・紙店)の湧水です。




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  ★この記事を書きながら聴いた音楽

ダーク・スカイ・アイランド




Enya - Orinoco Flow













街角の神々(その1)


 島原の街を歩いていると、市内のいたるところ、商店街や住宅街の道のかたわらに、大小さまざまな石造りの神像がまつられているのを見ることができます。それらの石像の中で一番多いのは猿田彦(さるたひこ)の神様でしょう。

 猿田彦の石像のほとんどは、縦長の石を平たい台座石の上に立てて、石の正面に「猿田彦大神」という文字が彫られたものです。

 昭和60年発行の島原市建設課による調査書によれば、島原市内の道祖神猿田彦系の石造物の数は合計437基もあるということらしいです。(『島原市の環境カルテ 島原の道祖神・石垣』に掲載された吉田安弘氏の論文「島原の道祖神」より)

 ただ、いくら昔のままで変わらないような島原の街でも、その後の区画整理や道路の拡幅工事などで消失した石造物もあるはずですから、いくらかその数は減っているかもしれません。

 「街角の神々」では毎回島原市内の猿田彦などの石造物を紹介しながら、地域の歴史や風習などについて紹介していきたいと思います。


上の町 川井たばこ店前の猿田彦(青い理髪館の近く)


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上の町 宮崎温仙堂前の猿田彦
えびす様のほこらの前に猿田彦もまつられている





えびす堂の案内板

 

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桜町 大堀表具店前の猿田彦
建物の北側東向きにまつってあります
やはり鬼門である北東の方角に鬼門封じの猿を置いたのでしょうか


大堀表具店前の猿田彦(横から見た写真)


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加美町(かみまち)ゆとろぎの湯駐車場前の猿田彦


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加美町(かみまち) 
美容室トゥーレカルソン前の猿田彦


美容室トゥーレカルソン前の猿田彦
立派な屋根が付いています

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白土町 酒井タタミ店前の猿田彦

 
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 猿田彦大神という神様は、『古事記』や『日本書紀』によると天孫降臨のときに、アマテラスオオミカミの孫であるニニギノミコトが天の八衢(やちまた:道がいくつにも分かれているところ)にさしかかったとき、そこに立ちふさがっていた地元の神様ですが、「あいつヤバくない? すっげーでかいし、目玉もハンパなくでかくて、しかも赤く光ってるし。ちょっと行って話つけてきてよ」と少しばかりビビり気味のニニギから命じられたアメノウズメ(アマテラスが天岩戸に引きこもったときに、天岩戸の前でセクシーダンスを踊ってアマテラスの気を引いた女神です)が名前を尋ねると、「ニニギノミコト様が降りてこられたら、道案内をしようと思ってお待ちいたしておりました」と言って、ニニギノミコト御一行様のガイドを務めた道案内の神様です。

 この神話でニニギノミコトが天降ったところは、宮崎県の高千穂ということになっているのですが、なぜ島原にこれほどたくさんの猿田彦がまつられているのか、ナゾです。

 いろいろな理由が考えられるのですが、このナゾについては、次号から島原市内のあちらこちらにまつられている猿田彦神像を紹介しながら考えていきたいと思います。乞うご期待!


★この記事を書くのに参考にした本

『島原市の環境カルテ 島原の道祖神・石垣』(島原市企画課・建設課 昭和62年発行)

『謎のサルタヒコ』鎌田東二編著 創元社




『古事記』(岩波文庫)




『日本書紀(上)全現代語訳』 (講談社学術文庫)




『日本書紀(下)全現代語訳 』(講談社学術文庫)




★この記事を書きながら聴いた音楽

アルバム「妖精のレジェンド ~ベスト・オブ・クラナド」より
「アイリッシュ愛の歌」(Siúil A Rún)



Clannad - Siúil A Rún(アイリッシュ愛の歌)







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あひる書店による島原のあれこれ紹介ブログです

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