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島原のモヤイ

島原についてのあれこれを紹介

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街角の神々(その1)


 島原の街を歩いていると、市内のいたるところ、商店街や住宅街の道のかたわらに、大小さまざまな石造りの神像がまつられているのを見ることができます。それらの石像の中で一番多いのは猿田彦(さるたひこ)の神様でしょう。

 猿田彦の石像のほとんどは、縦長の石を平たい台座石の上に立てて、石の正面に「猿田彦大神」という文字が彫られたものです。

 昭和60年発行の島原市建設課による調査書によれば、島原市内の道祖神猿田彦系の石造物の数は合計437基もあるということらしいです。(『島原市の環境カルテ 島原の道祖神・石垣』に掲載された吉田安弘氏の論文「島原の道祖神」より)

 ただ、いくら昔のままで変わらないような島原の街でも、その後の区画整理や道路の拡幅工事などで消失した石造物もあるはずですから、いくらかその数は減っているかもしれません。

 「街角の神々」では毎回島原市内の猿田彦などの石造物を紹介しながら、地域の歴史や風習などについて紹介していきたいと思います。


上の町 川井たばこ店前の猿田彦(青い理髪館の近く)


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上の町 宮崎温仙堂前の猿田彦
えびす様のほこらの前に猿田彦もまつられている





えびす堂の案内板

 

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桜町 大堀表具店前の猿田彦
建物の北側東向きにまつってあります
やはり鬼門である北東の方角に鬼門封じの猿を置いたのでしょうか


大堀表具店前の猿田彦(横から見た写真)


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加美町(かみまち)ゆとろぎの湯駐車場前の猿田彦


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加美町(かみまち) 
美容室トゥーレカルソン前の猿田彦


美容室トゥーレカルソン前の猿田彦
立派な屋根が付いています

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白土町 酒井タタミ店前の猿田彦

 
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 猿田彦大神という神様は、『古事記』や『日本書紀』によると天孫降臨のときに、アマテラスオオミカミの孫であるニニギノミコトが天の八衢(やちまた:道がいくつにも分かれているところ)にさしかかったとき、そこに立ちふさがっていた地元の神様ですが、「あいつヤバくない? すっげーでかいし、目玉もハンパなくでかくて、しかも赤く光ってるし。ちょっと行って話つけてきてよ」と少しばかりビビり気味のニニギから命じられたアメノウズメ(アマテラスが天岩戸に引きこもったときに、天岩戸の前でセクシーダンスを踊ってアマテラスの気を引いた女神です)が名前を尋ねると、「ニニギノミコト様が降りてこられたら、道案内をしようと思ってお待ちいたしておりました」と言って、ニニギノミコト御一行様のガイドを務めた道案内の神様です。

 この神話でニニギノミコトが天降ったところは、宮崎県の高千穂ということになっているのですが、なぜ島原にこれほどたくさんの猿田彦がまつられているのか、ナゾです。

 いろいろな理由が考えられるのですが、このナゾについては、次号から島原市内のあちらこちらにまつられている猿田彦神像を紹介しながら考えていきたいと思います。乞うご期待!


★この記事を書くのに参考にした本

『島原市の環境カルテ 島原の道祖神・石垣』(島原市企画課・建設課 昭和62年発行)

『謎のサルタヒコ』鎌田東二編著 創元社




『古事記』(岩波文庫)




『日本書紀(上)全現代語訳』 (講談社学術文庫)




『日本書紀(下)全現代語訳 』(講談社学術文庫)




★この記事を書きながら聴いた音楽

アルバム「妖精のレジェンド ~ベスト・オブ・クラナド」より
「アイリッシュ愛の歌」(Siúil A Rún)



Clannad - Siúil A Rún(アイリッシュ愛の歌)







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