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島原のモヤイ

島原についてのあれこれを紹介

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島原の方言(その1) あい~いんにゃ

<はじめに>

 地方で生まれ育った人にとって、その土地の言葉はまさしく母語であり、慣れ親しんできたものでしょうが、その一方、「なまってる」とか、「田舎っぽくて変だ」とか、「恥ずかしい」という気持ちもつきまとうものです。
 かつては、小学校に入り、教科書をもとに勉強するようになると、教科書に書かれている言葉は「標準語」であり、先生や大人たちから「標準語」が正しい日本語であり、方言は使わないようにと指導されてきました。
 
日本全国の小学生は、南は沖縄から北は東北、北海道にいたるまで、標準語はきれいな言葉で、自分たちの母語である地方語(方言)はきたない言葉だという意識を植え付けられてきたのです。

 それが、最近は少しずつ変わってきているように思えます。
 かつて、ラジオ、テレビで耳にする言葉や、東京の言葉だけが正しい日本語であるとして、「標準語」や「東京弁(これも地方語の一種ですが)」にあこがれた地方人たちは、いまはそのテレビによって「新しい表現方法」「面白い日本語」として、自分の土地以外のさまざまな方言に触れることができるようになったのです。

 語尾に「じゃん」をつける「~じゃん」という言葉はすでに若者たちにとっては共通語となっています。また、北海道の方言であった「なまら(すごく、非常に)」という言葉も広く若者たちに用いられるようになりました。

 東京で生まれ育った若者たちが、こういった地方の言葉を断片的にであっても率先して取り入れる文化が育ちつつあります。
 いつの時代でも、若者たちは新しい表現方法や、自分たちの気持ちにぴったりの言葉を見つけたり、もしそれがなければ、新しいものを作り出すことにかけては天才なのです。

 標準語、あるいは共通語と呼ばれる言葉も、決して文部科学省やNHKが定めたものではなく、日本で暮らす多くの人によって日々用いられながら、より豊かに、より多様に進化し続けているのだと、わたしは思っています。

 方言においても同じことが起こっています。
 かつては、なまりが恥ずかしいとか、きたない言葉ではないかと思っていた、自分たちの生まれ故郷の言葉が、実は古い日本語を残している大事な言葉であったり、標準語ではどうしても表しきれない感情を言い表せる唯一の言葉であると、次第に認識できるようになり、自分たちの言葉に誇りが持てるようになってきました。

 ところが、ラジオ、テレビ、インターネットと、情報伝達の手段が発達し、日本全国に飛行機や新幹線、高速道路などの交通網が張り巡らされ、大量の人が毎日移動し、進学や就職のために多くの若者たちが、自分たちの故郷を離れて都市に移り住み、そこの言葉を覚えるようになると、その地方独自の言葉で消滅していくものも増えてきました。

 もう、ずいぶん昔のことですが、わたしが高校に入って、最初に古文の授業を受けたときの話です。
 古文の先生が、「あはれ」という言葉について、この言葉は「ああ!」という言葉と、「はれ!」という二つの言葉が一つになって出来た言葉であると説明されたのです。「ああ!」も「はれ!」も、心が大きく揺り動かされたときの感嘆、感動の言葉ですが、その二つがあわさり、さらに強調された感動としての言葉であるとの説明だったのです。
 
 いま、わたしの手元にある古語辞典(岩波古語辞典 大野晋編 1974年版)によると「ああ」は「驚き、感動、嘆きのときに発する声」と載っています。また、「はれ」は「やれ、まあ」という感動詞として載っています。
 そして、「あはれ」には「感動詞アとハレの複合。はじめは、事柄を傍から見て讃嘆・喜びの気持ちを表す際に発する声。それが相手や事態に対する自分の愛情・愛惜の気持ちを表すようになり、平安時代以後は、多く悲しみやしみじみした情感あるいは仏の慈悲を表す」という説明がなされております。

 わたしが「あはれ」という言葉の成り立ちを教わった、その古文の授業で、そのもとになった「はれ」が、いまも本来の感動を表す言葉として、実はこの島原(北部の地域)でまだ使われていると知ったとき、わたしは大変驚き、感動を覚えました。
 
 そのことは、それまで抱いてきた方言に対しての「恥ずかしい」とか、「下品だ」というコンプレックスを100%ではないにしろ、かなりの程度吹き飛ばしてくれるほどの衝撃でもありました。

 これは「あはれ」というたった一つの言葉にまつわる例ですが、このように古い言葉が方言の中に生き残って使われているという例は、島原だけではなく日本中の田舎、すなわち東京という政治の中心地から見れば周辺部、辺境といってもいい地域にはまだまだたくさん残っています。

 このことから、わたしは二つのことを想像します。
 一つは、かつて広範に用いられていた「共通語」的な言葉が、多くの人が住み目まぐるしく変化していく都会においては、生活様式の変化とともに捨て去られ、消えていかざるを得なかったけれども、辺境である地方においては生活様式の変化自体もゆるやかであり、またそこに住む人々の人間関係も昔とそれほど違ってはいないので、まだまだ昔の言葉が当時の使い方のまま生き残っているのではないかということ。

 そして、もう一つは、言葉は必ずしも中央(東京)から地方へと伝播(でんぱ)していくとは限らず、かつて政治・文化の中心は東京や江戸ではなく、京都にあったことや、またさらにさかのぼる大昔には、古事記や日本書紀に表されているように、日本という国の成り立ちは九州から始まり近畿に移り、ヤマト朝廷が成立したとされているように、もしかしたらこの九州に残る言葉にはそのころのなごりがあるのかもしれないし、それらの言葉こそが日本語の成立の根幹にあるかもしれないとも思うのです。 
 現に沖縄の言葉は、標準語しか理解できない人からするとほとんど外国語のように思われるのですが、古く格調高い日本語がたくさん残っています。
 一方、北のほうでは、アイヌの人々がこの日本列島に古代から先住民として住み続けています。アイヌ語の中には、さらに古い言葉や思想が残っていると思われます。哲学者で古代研究でも有名な梅原猛氏は、日本古代の研究にアイヌ学は最重要と思われるとも書いておられます。
 
 また別の側面から見ると、わたしは格調高い古語だけでなく、世の人々から下品、低俗、わいせつと言われるような言葉も重要ではなかろうかと思っております。
 ウンコ、シッコ、チンチンというような言葉は、子供たちは大好きです。なぜ、好きなのかというと、その言葉を発すると大人達からしかられて禁止されるから、好奇心と冒険心旺盛な子供にとってはそれは魔法の言葉のようで、言ってみたくてたまらないということもありますが、まず人間にとって食べるのと同じくらいに重要なのは排泄(はいせつ)することであり、特に男子の場合は、自分の股間についている突起物はどうも排泄(はいせつ)だけに用いられるものではないようだとうすうす感づいており、女子のそれはどうも違う形をしているようだけれど、それは何という名で呼べばいいのだろうか、そして女子はどうやってオシッコをするのだろうか、また、チンチンや女子のそれはオシッコ以外にどんな利用方法があるのだろうかと、考えれば考えるほど気になって仕方がないのです。

 古代と言わず、少し前まで、この日本では性に関してはもっとおおらかであったと言われております。
 現に、各地に男根や女陰を御神体として祀る神社がたくさんあります。これは日本だけでなく世界のどこでも見られることで、性器は子供を産み出す神秘的な力を持つものとして、崇拝の対象だったのです。
 近代化され、学校教育で「ウンコ」「シッコ」「チンチン」などという言葉は汚い言葉として洗脳され、まして女性器の名前など口にしようものならば、中世の魔女狩りのごとく糾弾(きゅうだん)され、蔑視(べっし)され、教師だけではなくクラスの良い子たちからのけ者にされるのです。事実このわたしの小学生時代がそうでした。

 そんなわけで、わたしはこの良識人の間では口にすることを禁じられた言葉にも、古代の人々の生き方や世界観を知る手掛かりや、もっと言えば人類普遍の哲学や真理に至る重要な鍵が隠されているのではないこと想像する次第です。

 てなわけで、そういう「下品な言葉」はきらいだという人は、その部分は目をつぶって読み飛ばしてください。

 最初にお断りしておきますが、ここに集めた「島原の方言」はあくまでもわたしの子供時代から現在にいたるまで、周りの人たちが使っているのを耳にし、また、わたしを含めていまでも使用している言葉です。
 独断と偏見で集めたものと言ってもいいかもしれません。
 学術論文ではありませんので、もし、「あれが入ってない」「これは知らん」といった言葉もあるでしょうが、ご指摘いただいたものから順次、加筆訂正していこうと思っております。







クリックで救える命がある。


あい
  「あれ」のことです 「あれ」が欲しいとか「あれ」をしたいとかの「あれ」あとに続く言葉によって「あっ」という場合もあります 音便形というやつです。「あつ」ではなくて小さい「っ」の「あっ」です
例文  
「あいば取ってきて」
「あいてどいね?」
「あいはあったい」
和訳  
「あれを取ってきて」
「あれってどれよ?」
「あれはあれだよ」

※「これ」は「こい」 「それ」は「そい」 「どれ」は「どい」
 「あいでんこいでん」は「愛でも恋でも」の意味にも「あれでもこれでも」の意味にもなります

あいどん 「あいつら」「あいつたち」
例文   
「あいどんなたいがいきゃあぶっちょっ」
「くらせろ」

和訳   
「あいつら、いいかげん調子づいてるぜ」
「なぐっちゃえ」


あいどみゃ 「あいつらは」


あえる  「落ちる」ということです
例文  
「道に100円あえちょった」
「また洋服ば汚して! あろてんあろてんあえんとやっけん」
和訳  
「道に100円落ちてた」
「また洋服を汚して! 洗っても洗っても落ちないんだから」


あおのけ 「あおむけ」のことです
例文 
「あおのけにならんね、はよう」
「なっちょっとん」
「どうまた、真っ黒日焼けして前も後ろも分からんとん」

和訳 
「あおむけになってよ、はやく」
「なってるじゃん」
「オーマイゴッド! 真っ黒に日焼けしてるから前も後ろも分かんないよ」

あがしこ  「あれだけ」
例文
「あがしこ言うとったいに、また、きゃあまちごうてから」
和訳
「あれだけ言っといたのに、また、間違えてしまって」


あがん 「あんな」「あのような」という意味
例文 
「母ちゃん、こら、どがんすればよかと?」
「そら、あがんして、こがんして、そがんすればよかったい」
和訳 
「母ちゃん、これはどうすればいいの?」
「それは、ああして、こうして、そうすればいいのよ」


あじくらう 「あじをしめる」という意味です 「あじをしめる」って鰺を締めるんじゃないですよ 「味を占める」です 「一度うまくいったことからその妙味を知り、暗に次にも同様のことを期待する」という意味(goo国語辞書


あせがる 「急ぐ」という意味です
例文  
「あせがってご飯ば食べにゃ学校に遅るっよ」

和訳  
「急いでご飯を食べなきゃ学校に遅れるよ」


あせくる 「かきまわす」という意味
例文  
「そがんあせくったらつまらん」

和訳  
「そんなにかきまわしたら駄目」


あた  「いたずら」のことです
あたする 「いたずらをする」

例文  
「あたせんとよ」

和訳  
「いたずらしないのよ」


あたん  「あなた」または「あんた」という意味です
例文  
「あたんなどけ行っちょらした?」

和訳  
「あなたはどこに行ってらしたんですか?」

あたんね 「あなた(あんた)の家」という意味
例文   
「今夜はあたんねに泊めちくれんかない」
「豚小屋でよかならよかよ」
和訳   
「今夜はあんたの家に泊めてくれないかな」
「豚小屋でよかったらいいよ」

あっか  「赤い」「明るい」
例文
「うさぎの目はなしてあっかと?」
和訳
「うさぎの目はなぜ赤いの?」


あっちさん  「あっちのほうへ」
あっちゃん   同じく「あっちのほうへ」
例文
「あっちゃん、あっちゃん行くぎつまらんとよ」
和訳
「あっちゃん、あっちのほうへ行ったら駄目だよ」


あっどん 「あれら」「あいつら」
例文 
「あっどんな、どがんもこがんもならん」
「くらせろ」

和訳 
「あいつらは、どうにもこうにもならない」
「なぐっちまえ」

あにやん  「お兄さん」

あねしゃん 「お姉さん」
例文  
「あねしゃんな どけ行ったろかい あねしゃんな どけ行ったろかい」
和訳  
「お姉さんは どこに行ったろうか お姉さんは どこに行ったろうか」

※ これは「島原の子守歌」の一節ですが、この「あねしゃん」は「からゆきさん」として女衒(ぜげん)にだまされて売られて行ったのです。
「からゆき」さんについては別項で詳しく紹介したいと思います。

島原の子守歌/倍賞千恵子


倍賞千恵子の島原の子守歌は、とてもきれいな声でこの歌の哀しさは伝わってきますが、商業ベースなのか肝心の「からゆきさん」を思わせる歌詞は出て来ません。

次の森繁久弥のうたう「島原の子守歌」は、森繁がこの「島原の子守歌」の作詞者である宮崎康平と早稲田大学時代からの友人であるためか、原曲原詩にかなり忠実にうたっています。

森繁久弥/島原の子守歌



あまる  子どもがふざけてさわいだり暴れたりすること
例文  
「あんたたちゃあまったらつまらんとよ」

和訳  
「あんたたちはふざけたら駄目なんだよ」


あもじょ 「おばけ」「幽霊」の意味ですが、これは島原弁と言えるのか、それとも極めてローカルな言葉なのか確認できていません。子ども時代にわが家の周辺では使っていました(島原市高島町)
あもよ  「あもよ~」とも言っていたので、もしかしたら「あの世」というのが本来の意味だったかもしれません。

例文  
「あもじょ~」
「ああ、おとろし」

和訳  
「おばけだぞ~」
「ああ、おそろしい」


あんやっ 「あいつ」という意味
例文  
「あんやちゃ、のぼせちょっと」
「くらせろ」

和訳  
「あいつは調子にのってるよ」
「なぐれ」



いい  「うん」という意味 「唯々諾々(いいだくだく)」のいいでしょうか。
例文
  
「あいば持ってきて」
「いい」
「あいで分かっとな?」
「いい」

和訳  
「あれを持ってきて」
「うん」
「あれで分かるの?」
「うん」


いが  「こども」のこと

いがもり 「子守」のこと

いかにゃん  「行かないと」「行かなければ」という意味
 ※ 語尾に「にゃん」が付くと「~ねばならない」という意味になる

いげ  「刺(とげ)」のこと

いっち  「最も」「一番」ということです
例文   
「あたんがいっちよか。いっち好いちょっとよ」

和訳   
「あなたが一番いい。一番好きなのよ」


いっちょ 「一つ」のことです

いっちょん  「一つも」

例文  
「映画は面白かったね?」
「いっちょん面白なかった」

和訳  
「映画は面白かった?」
「一つも面白くなかった」


いっちょく 「置いていく」「置き去りにする」
例文  
「はよせにゃいっちょかるっとよ」

和訳  
「早くしないと置いていかれるよ」

いを  「魚」

いん  「犬」


いんにゃ 「いいえ」「いいや」という意味
例文  
「あたんな北海道に行ってこらしたげなとん」
「いんにゃ、おら沖縄に行ってきたと」

和訳  
「あんた北海道に行ってきたんだって?」
「いいや、おれは沖縄に行ってきたんだよ」




★ この記事を書きながら聴いた音楽


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